ピラティス日記

ピラティスの歴史と誕生秘話

全世界に1,700万人の愛好者がいて、誕生から103年目となるピラティスの歴史を紹介します。かなり長文です ^_^;⁡
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ピラティス生みの親、ジョセフ・ピラティス氏は、1883年にドイツの小さな街で生まれました。幼少期は、リウマチ熱、くる病、喘息などを患い非常に病弱だったと言われています。⁡⁡
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彼は、体操選手やボクサーとして活躍していた父の影響を受け、体操、ボクシング、禅、ヨガ、スキーなど、あらゆるトレーニングに取り組み鍛錬を重ねました。14歳の頃には、鍛え上げた身体で当時の解剖学書や芸術家の身体モデルになっていたと言われています。⁡⁡
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身体を鍛錬することに非常に熱心だったピラティス氏は、1914年に第一次世界大戦が勃発した時にイギリスでボクサー及び護身術の指導者として働いていました。その際、彼は敵国の異邦人だと見なされ、マン島で拘留生活を送ることになってしまいます。⁡⁡
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マン島では、彼自身が日々取り組んでいたワークアウトを、他の拘留者と一緒に取り組むようになりました。1918年にインフルエンザが世界的に大流行した際には拘留所でも深刻な事態となりましたが、彼と一緒にワークアウトに取り組んだ人たちは誰一人感染しなかったことを、後年になり誇らしく語っていたと言います。⁡⁡
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さらにマン島では看護師として働き、負傷者は、どうすれば寝たまま身体を強化できて機能改善させられるかを考えました。⁡⁡
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その結果、ベッドのマットレスのスプリングを取り外してオリジナルのリハビリのためのトレーニング器具を創り出しました。⁡⁡
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これは、後にキャデラック(またはトラピーズテーブル)と呼ばれるようになったピラティス専用器具の基盤となっています。ピラティス氏は、その後も生涯においてクライアントに必要な器具を数多く発明していきました。⁡⁡
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戦争が終わりドイツへ帰国した彼は、1926 年にニューヨークへ渡りました。船旅で運命的な出会いをしたクララと結婚をし、自分の考案したエクササイズを広めるためにニューヨークにスタジオを開設します。⁡
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間も無くすると、ピラティス氏の噂を聞きつけた、米国の主要なバレエ団の1つ「ニューヨーク・シティ・バレエ」の「ジョージ・バランシン」や、モダンダンスの開拓者の一人でもある「マーサ・グラハム」が、怪我をしたバレリーナを彼のスタジオに送り込むようになりました。⁡


彼の指導により多くのダンサーやアスリートが怪我や不調から回復すると、たちまち噂が広まり、ビジネスマンや医者、音楽家、サーカス芸人、体操選手、学生など、様々なクライアントがスタジオに来るようになり広がっていきました。⁡⁡
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ピラティス氏は、この画期的なメソッドが医学の世界や学校教育にも取入れられることを強く望んでいました。そして、すべての人が生涯の健康のために、このメソッドに取り組むべきだと考えていました。しかし、当時はまだ、この機能的なエクササイズを受け入れてもらうことが難しく非常に落胆していたと言います。その無念な想いを「僕のメソッドは50年早すぎた」と語っています。 ⁡⁡
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1934年、ピラティス氏は『ユア・ヘルス (Your Health)』を出版します。この本の中で彼のメソッドを「コントロロジー(Contorology)』と名付けました。これは、身体の細部に意識を高めコントロールし、深い呼吸と共に動くことで深層の筋肉を鍛え、動きの中で心と身体をつなげる革新的なメソッドでした。⁡⁡
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ピラティス氏は、現代人の様々な病気が姿勢の悪さや浅い呼吸が原因となっていると考え、全ての人が生涯の健康のために「コントロロジー」を行うべきだ、話していたそうです。⁡⁡
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1945年に出版した『リターン・トゥ・ライフ・スルー・コントロロジー (Return to Life Through Contrology)』では、「コントロロジー」の理論と、ピラティス氏自らの写真によるエクササイズの解説をしました。⁡⁡
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この頃、彼は「コントロロジー」は人類を変えられると確信しており、医学の世界や学校教育への導入を目指して日々熱心に宣伝活動をしていたものの、医療資格を持たない彼に対し病院の対応は悪く、医療にピラティスが取り入れられるのは彼の死後何年も経過してからになります。⁡⁡
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ピラティス氏は1967年に亡くなるまで、熱心に研究を重ねながらもクライアントへの指導を続けていました。また、彼は相当な変わり者だったと言われており「ニューヨークの街並みをパンツ姿で歩き、逞しい肉体を見せつけた」「パーティが大好きで、毎日大量のお酒と葉巻を摂取していた」など、今でも多くのユニークなエピソードが語り継がれています。⁡⁡
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山田 裕子(ヒロコピラティススタジオ代表)

山田 裕子(ヒロコピラティススタジオ代表)

hiroko pilates®︎ インストラクタートレーナー

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